私は「編集」ということに惹かれている。
ずっと広報の仕事をしてきたけれど、本当にやりたいことは広報ではなく、編集なのだと思う。
いいなと思うものを見つけて、「なんでいいんだろう?」と考える。そして、その魅力が伝わる形に整える。
広報に違和感を覚えることがあるのは、依頼されたものをデザインしたり撮影したりと、すでに決まったものを「伝わる形にする」部分だけを担うことが多いから。もちろんそれも大切な仕事だけれど、私が本当に心を動かされるのは、そのもっと前の段階にある。
そもそも何が魅力なのか。本質的な価値はどこにあるのか。なぜ人はそれを好きになるのか。そこを一緒に見つけたい。
だって、良いと思うからこそ人に伝えたくなる。魅力を見つけることと、届けることは私の中では切り離せない。そこが分断されると、どうしても熱量がなくなってしまう。
もっと最初から、関われないだろうか。
何に価値があるのかを一緒に見つけて、同じ方向を向いて走れないだろうか。
私自身が「これは伝えたい」と心から思えるものを、届ける仕事がしたい。表現は、本来その人自身のものだと思う。どんなに上手な言葉も、どんなに綺麗なデザインも、その人の想いや生き方から離れてしまったら、どこか違うものになってしまう。
何かを表現するのなら、自分が本当にいいと思ったものを届けたい。
だって表現は、自分のものだから。
デザインを作りたいんじゃなくて、その人自身が、自分の言葉で立てるようになるところまで関わりたい。

サンポ屋はもともと、私がいいなと思ったお店やまちを見ながら、「どうしてこうなっているんだろう?」を考える活動だった。
このお店がこんなにも居心地がいいのはなぜだろう。この店主はどんなふうにお客さんと接しているのだろう。何にこだわり、何をあえて手放しているのだろう。このお店をこのお店らしくしているものは何だろう。
私はいつも、唯一無二の魅力を探している。それは、お店を見るときも、人を見るときも同じだ。
その人の良さはどこにあるのか。どうしたらもっと自然に輝けるのか。どうしたらもっと生きやすくなるのか。
私はずっと、宝物を持っている人たちを見てきた。そして、その宝物がきちんと報われる社会であってほしいと思っている。
私は個人店が好きだ。お店そのものが好きだからだけではない。
お気に入りのお店があること。
店主と顔見知りになること。
「こんにちは」と言える場所がまちにあること。
そういう小さな関係性が、暮らしを豊かにしていると思う。
だから私は、大好きなお店が閉まってしまうところを見たくない。
お店がなくなることは、ひとつの居場所がなくなることでもあるから。
もちろん、お店が続かなくなる理由はひとつではない。けれど、価値があるのに伝わっていないものや、その人らしさがうまく届いていないものも、たくさんあるように感じる。

人と話していると、不思議なことがある。
最初は悩みの相談だったはずなのに、話しているうちに、その人が本当に大切にしているものが見えてくることがある。
何気なく出てきた言葉が、その人らしさの中心だったりする。
本人にとっては当たり前すぎて気づいていないけれど、外から見ると、とても魅力的に見えるものがある。
私はそういう瞬間が好きだ。
編集というのは、文章を整えることだけではないと思っている。
たくさんある言葉や想いの中から、その人らしさが一番よく見えるものを見つけて、そっと置いてみること。
編集するように、たくさんある要素の中から、きらりと光るものを拾い上げる。そして、「これじゃないですか」とそっと置いてみる。
そうすると、不思議とその人自身が前に進み始める。
誰かに答えをもらったからではなく、自分で見つけた答えだから。
私は、そういう時間をもっとつくってみたい。
まだ形になるかはわからないし、どんなものになるかもわからない。
でも、まちをつくる人たちや、個人店を営む人たちと一緒に、その人らしさや魅力を見つけていくことをやってみたいと思っている。

そして同時に、自分自身も探している。どんな形なら自分の力を活かせるのか。何をしているときが一番自然なのか。
サンポ屋を続けながら少しずつ見えてきたのは、人やお店の魅力を見つけて、それを言葉にしたり整理したりする時間が好きだということだった。
誰かの魅力を見つけることと、自分の役割を見つけることは、案外似ているのかもしれない。
だからこれは、誰かのためだけの活動ではなくて、私自身の生き方を探す挑戦でもある。
サンポ屋はこれからも、まちを歩き、お店に入り、暮らしを味わう。人がふらっと集まれるあたたかな場をひらいていく。
そしてその延長線上で、まちをつくる人たちの魅力を編集していけたらと思う。
今日はとりあえず、今思っていることを。


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