東京ひとり旅で気づいた、「観光メインの旅行」と「暮らしのような旅」のちがい

東京 新宿

わたしにとっての「ちょうどいい」って、なんだろう。

「今日は静かに過ごしたいからあっちの喫茶店に行こう」「今日は人と喋りたい気分だからこっちの喫茶店に行こう」。そんなふうに気分によって選べるほど、近所に行きつけのお店がたくさんあると豊かだと、ずっと思ってきた。

もくじ

選んでいるのか、選ばされているのか

ひとりで東京に来た。そして、とてもさみしいというか、むなしい気分になっている。

なぜだろう?と考えたら、このお店の量はわたしにとって過多であり、もはやエンターテイメントの域になっていて、決して「生活のちょうどよさ」ではないのだ、と気づいた。

わたしにとっての「ちょうどよさ」は、自分の内側の対話と、外側の刺激が、半々であること。外の刺激が多いと、わたしは思考ができない。「選んでいる」より「選ばされている」ように感じてしまう。そして結局は、何も欲しくないしどこにも行きたいところがないような気がしてくる。

自分の生活が、自分で手綱を引けない感覚。連れて行かれる。

行きたい喫茶店もないし、探すのも選ぶのもしんどい。許容量を超えたのだと思う。

考えることが、追いつかない

「ホストに行くために死ぬ気で金稼ごう」と言っている、わたしと同い年くらいの女性たちの会話を聞いて、かなしくなった。でも「そういう人もいるか」とどこか無関心に他人事のようにも思う。

いつもなら自分ごとにして、どうしたらいいかなぁって考えるのに。考えることが追いつかない。考えない方が、らく。だって、どうしようもできない。どうしようもできないほどに、人間ひとりが無力であることを、このまちが叫んでいるような気がする。

歩いてきた男性が3秒で自販機でコカコーラを買う様子を眺めていた。早い。わたしはいつも優柔不断だから決断が遅い。今湧いてきた気持ちは、ほんとうにわたしの気持ちかなぁ?と確かめてから、それを選んだあとどんな気持ちになるのかを想像する。だから今日は、行きたい場所がなかったから喫茶店には行けなかった。目の前にまで惰性で来たけれど、わたしは選びたくないと思った。

電車の中で、深呼吸ができた

平日11時、埼玉に行く電車の中は空いていて、車窓からやわらかな光が差し込む。

やっと、深呼吸ができる。ぼうっと「さびしいなぁ」なんて思えるほどに、わたしが戻ってきた。

この静寂が、必要だった。この静寂があれば、バランスが取れる。

わたしは、もう帰ろうと思う。

「本屋ひとりごこち」という、わたしの大好きなデザイン事務所が埼玉・飯能に本屋を開いた。今夜トークイベントを開催するというので、平日に有休をとってはるばるやってきたのだった。だから、もう、ここに行けたら帰る。3泊4日しようかと思っていたけれど、わたしはわたしのからだや心を、優先したい。

古いお家に帰って、畳の上に寝転び、あたたかな昼の光をめいっぱい感じながら、目を瞑るのだ。夕方になってから、いつものカフェに行く。

「暮らしのような旅」とは、わたしが主体であること

わたしは「観光よりの旅行」ではなく、「暮らしのような旅」がしたかった。それは、まちではなくて「私自身」が主体の旅。まちをみて、お店をみて、わたしがどう感じて、どんな関係性ができていくのか。

結局のところ、社会は人の集合体なのだ。人が、中心だよ。わたしはわたしに興味があって、いろんなところに行って、感じることを知りたい。その感じた「ほんとうの気持ち」をもとに、人生がわたしのオリジナルのものになっていけば、それが本望だ。

「暮らしのような旅」とは、あくまでわたしのなかに主導権があり、手綱を引き続けられるほど、外側の刺激は抑えめで、「ちょうどいい」のが前提なのかもしれない。

飯能駅につき、空が広いことに気づく。ちゃんと家が、たくさんある。ここで暮らしている人がいるのだとわかるまちが好きだ。

わたしがわたしの人生をちゃんと生きて、あなたが、あなたの人生を生きて、それの集合体で、豊かなまちになる。

東京 新宿

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
URLをコピーする
URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

もくじ
閉じる