「kitainotokoro」という不思議な名前の場所に初めて訪れたのは、いつのことだったか。
声が小さくて、話し方がゆっくりで——最初はどこかミステリアスな人だと思った。何を考えているのか気になるような、静かな存在感。でも、何度か会っておしゃべりするうちに、ユーモアがあって、芯のある“おもしろい人”だとわかってきた。

哲学のある服屋、kitainotokoroという場所
そこは一見、服屋ともアトリエともつかない佇まいで、生活のにおいと静けさが共存しているような場所だった。試着室はお店のど真ん中にあって、玄関には、店主が大切にしてきた人やモノの痕跡が、まるでアルバムのように並んでいた。
この場所は、ただ服を買いにくる場所ではない。対話しにくる場所なのだ。

服をつくる、という営みの本質
店主・藤下さんの経歴は、もともとアパレルとは無縁だった。大学では機械系を専攻し、卒業後は金型製造の会社に11年間勤めた。ミクロ単位の精密な部品を扱う仕事の中で、モノの構造や「仕組みを見抜く目」を養ってきた。そこでは、「なぜそれが必要なのか」「どんな目的を満たすためにその形であるのか」といった思考が徹底されていたという。
ミクロ単位の世界で、製品の構造や目的を見極める目を養ってきた彼は、「どんなものを作るか」よりも「なぜ作るのか」という視点を何よりも大切にしてきたという。
その思考は、服づくりにもそのまま引き継がれている。
誰が、どんな気持ちで、どんな時間に着るのか。そうした“背景”こそが、服そのもの以上に重要だと彼は言う。
「売れるものは簡単に作れる。でも、それを自分が作り続ける意味があるのかは、いつも考えてしまうんです」
服は、ただ“売る”ためにあるんじゃない。人との関係性を耕し、言葉にならない感情をくるむような、一つの対話の手段なのだ。


kitainotokoroという名前の、ちいさな哲学
kitainotokoroは「お店」ではなく、「彼の一部」だった。
営業日は不定期。看板はなく、路地裏の静かな場所。ふらりと入れるわけではない。アポイント制で、服の販売というより、衣装や仕事着などの製作依頼が多かったという。
「どこかで出会った人が、自分の家以外で安心して来られる場所をつくりたかったんです」
その言葉通り、ここは“ショップ”というより、“対話のためのアトリエ”に近い空気感だった。
「みんなで仲良く」よりも、「距離を持てる関係性の心地よさ」。田舎でひっそり営まれているカフェのような、ある種の“間”が保たれている。そんな空間だからこそ、服と向き合う深い時間が生まれていた。

たしかな手の跡、時間が染み込んだ空間
kitainotokoroの店舗は、北加賀屋の路地裏にある古民家。DIYなしでは使えないような状態だった空間を、hoffmaの仲間たちと少しずつ手を加えて蘇らせた。2階の住居スペースの施工を見て学びながら、1階の店舗は藤下さん自身が、ほとんどの工程を手がけたといいます。
試着室は、部屋のど真ん中。ふつうなら隅に置かれるそれを、「一番ワクワクする場所だから」と、彼は迷いなく中央に大きく設置した。
「もしもっと小さな店舗だったとしても、販売する服の数を減らしてでも、試着室は大きく取りたい」
売上よりも、体験。効率よりも、豊かさ。空間すべてが、その美意識を物語っていた。
服が売れることそのものにすら、どこか違和感を抱く彼にとって、商売とは、資本主義に呑まれるものではなく、もっと人間らしい営みのはずだった。
彼の作る空間には、静けさがあり、集中があり、そしてやさしさがあった。




服をつくる前に、大事にしていること
「表現の前に、目的を捉えること」
それは会社員時代、尊敬する先輩から教わった考え方だった。
彼の服づくりは、構造と目的の関係性をひたすらに追うところから始まる。見た目の美しさや流行を超えて、「なぜこれを着たいのか」をとことん考え抜く。
「服作りがすべての答えではない」と彼は言う。
最近は、言葉で、対話で、その人の心に触れる方が大事だと思う瞬間がある。
ZINEや詩にも興味が湧いてきた。SNSのように一瞬で流れていく言葉ではなく、自分のペースで、自分の言葉で残したいと願っている。
目の前の誰かが、ほんの少しでも生きやすくなるように。


kitainotokoroは、「自分の正義」を持てる場所だった
kitainotokoroを営んできた時間は、彼にとって「自分が何者かを確かめる時間」だった。
空間を整え、言葉を交わし、服をつくる。その一つひとつの積み重ねが、「こうありたい」と願う自分自身を、少しずつ輪郭づけていった。
そして今、43歳。人生の折り返し地点で、彼は新たな一歩を踏み出そうとしている。
広島への移住。就職という新しい選択。
一見するとkitainotokoroの“終わり”に見えるかもしれない。でも、彼はこう言った。
「別にここにいなきゃいけない理由はない。関係性は持っていけるし、素材も持っていける。ただ、場所が変わるだけ」
どこで生きるかじゃない。どう生きるかだ、と。
“人とのつながり”があれば、お金がなくても、死ぬことはない。そう信じている彼の言葉には、不思議な安心感があった。

ファッションは、希望になりうる
藤下さんが次に見ているのは「作業着」だという。
企業のユニフォームをストリートに落とし込む。車や家電会社のようにアパレルとは無関係な企業名が、ラグジュアリーブランドの隣に並ぶような、そんな“違和感”のあるデザイン。
それは、ファッションが「意味」を持つ未来だ。
古着のように、時間とともに価値が深まる服。作業着がストリートでリメイクされて着られるような、文化ごと再設計するような未来。
制服が「かっこいい」と思えたら、働く気持ちも変わる。誇りが芽生える。
「消費」される服ではなく、愛されて育つ服。
ただ与えられたものを着るのではなく、手間をかけて、自分で似合う形にリメイクして着るような姿勢。そこには、ストリートカルチャーにある“前のめりな創造性”が宿っている。
完璧に用意されたものだけを受け取るだけでは、つまらない。きっとそれは、服に限らず、すべてのことに言えるのかもしれない。

最後に。
私は藤下さんの考え方や人となりが好きです。いつもまっすぐで、正直で、不器用で、本質的だから。表面だけが整った人ではなく、本音で生きている人の言葉には、嘘がない。
何を質問してもきちんと答えられる。それは、人生のどの選択肢にもしっかり向き合い、考えることをやめなかったからこそ。そんな彼の生き方が、私の希望でもあります。「彼がいてくれてよかった」と思われたいとおっしゃっていましたが、私はすでにそう思っています。
北加賀屋のまちにいなくなることは寂しいけれど、この決断が彼自身の意志であるのなら、私はどこまでも尊重したい。そんな生き方が、格好いいと思うから。自分の意志に背いてまで続けるkitainotokoroは、藤下さんらしくないから。
たとえ不器用でも、あなたはあなたのままで、生きていてほしい。
そしてこのkitainotokoroという営みが——藤下さんの人生が——この文章を読んでくれたあなたの、小さな希望になれたなら。こんなに嬉しいことはありません。


取材・文・撮影|サンポ屋
取材協力|kitainotokoro(藤下さん)
この場所で交わされた言葉と、
そこに流れていた空気を、できるかぎりそのまま記録しました。
読んでくださり、ありがとうございました。
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